栄養生理病理の祖“神農(しんのう)”と“黄帝”

今まで、実践の話をしてきました。今日から、少しずつこの“陰陽(いんよう)”の“意義”的なことをお話させていただきます。

今日から内容は少し短めにして、さっぱりとした内容でいきます。

なんせ、長くて難しいのは疲れますのでね。

この画像をみてください。

これは“太陰大極図(たいいんたいきょくず)”と言います。誰でも一度くらいお目にかかったことはあるかと思います。

この栄養学をお話した方は、「東洋の栄養学が西洋の栄養学におとるということはない。」と強い意志をもっていた方のようでした。

反対意見をいうわけではないですが、“どちらが優れているということもなく、最終的には同じところに着地する。”というのが私の意見です。

まあ、そんなことはおいておきまして、この図は“陽”と“陰”の関係性をあらわしている図ですが、見慣れない文字がはいっていますよね。

でもこれは良くみると分かりますが、左は『養』で、右は『栄』なんですね。

最初これを勉強した時には、「『えいよう』と『いんよう』の発音がよく似ているからこじつけたのかな。」と思っていたのですが、“陰陽”が先に生まれ、それを食事法としてまた新たに生まれたのが、“栄養”という言葉。というのが正しいようです。

正直驚きましたが、“陰陽学”は紀元前3495年ころから生まれたとされており、単元方という中国の方が605年~616年頃に“栄養”を提唱したそうなので、“陰陽”や“五行”から生まれてとしてもおかしくないのか。と驚かされました。

では、今日はこれくらいにします。

続きは明日。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

陰陽栄養士 上地弘三

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