栄養の祖“神(しん)”と“帝”

おはようございます。
続きをお話させていただきます。
『“食”とは中国の古い文献によれば、「一粒の白い米(稲)を匕(さじ)の上に集めて米をのせた。」と説明している。これが集まれば“食(めし)”となる。転じて、食う、養う、生計する、との意味になった古典にみえる。』
前回から話しておりますのは1975年に、国民栄養対策協議会が、栄養学が普及とともに、技術的なことにとどまることを危惧して、発刊した書物よりお話しています。“栄養”という文字と“健康・保健・衛生・厚生・元氣・血気など”とどう違うかが、正確に答えられる人がいなかったからだそうです。
 
 
 
※上記の画像は“陰陽五行”の栄養調和の原則です。
この書物では、人の精神や心の関係と、食事と善悪に及ぼす影響なども書いてあります。どんな方がどういう風に、食を伝えてきたのかの歴史も含めてです。
1つ大事なこととして『ここは分かってほしい。』と書いてありましたのが、
「言葉」の意味とは、その言葉が生まれた「歴史」があり「背景」があり、ここをしっかりと学ばずに想像だけで行っていくと、「曲解や誤解」が生じて、本来、人を幸せにするための食事が、人を不幸にするという逆転が起こるのですよ。
 
ということです。
『“食に携わる”者は『基礎的概念を把握して、しかる後に日本人という立場から栄養学に専念してしていただくように、あえて希望してやまない。』
これを学びながら、心は大事であるな。と感じたところの共有をしたく本日のお話でした
今日もお読みいただきありがとうございました。
陰陽栄養士 上地弘三

陰陽栄養学メルマガも始めました。

良かったら登録してくださいね!

「陰陽栄養学メルマガ」登録はこちらから

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。